モーニング娘。20周年企画  どん底からの復権、“プラチナ期”の組織力

 朝日新聞デジタル連載から


5人が順番に語っていく企画でした。
なぜ、とりあげられたのが、プラチナ期なのか、しかも前後であるよっすぃ~やふくちゃんが入ってるのもわからなかったのですが、今へつながる企画として作ったんですかね。
ちょうど5人にしたら、よっすぃ~まで腹案れたということでしょうか。

ほかのかたの記事は、今でもみることができるのですが、よっすぃ~の記事はみることができませんでした。
なので、過去記事ですが、さかのぼってみたいと思います。

𠮷澤ひとみ 黄金期の厳しい伝統と20年続いた理由


"ちゃんと守ってね”という想いは、いまだに代々伝わっている

テレビ東京系『ASAYAN』のオーディションに合格し、当時すでに人気絶頂にあったモーニング娘。4期の新メンバーとして、𠮷澤ひとみがグループに加入したのは2000年春。時代はミレニアム・イヤーに沸き、後にこの年の流行語に「IT革命」が選出されるなど、日本はITバブルのまっただ中。夏にはシドニー・オリンピックもと、今振り返れば明るい話題が多い1年だったと言えるかもしれない。

「当時はメンバーだけじゃなくてマネージャーさんも事務所のスタッフさんも、もちろんつんく♂さんも含めて全員でひとつの方向にむかっていくパワーがすごかったですね。モーニング娘。は、CDを手売りで5万枚も売ったことでデビューするきっかけを手にしましたよね? そうした5人(中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香)の想いがあって、やっとできたグループだから、それまでに作り上げたグループのルールを壊されるのは絶対にイヤだったと思うんです。初期メンバーは今でも厳しいし、これだけ世の中に知ってもらえたグループを大事にしてほしい。"ちゃんと守ってね”という想いは、いまだに代々伝わっていると思います」

初代のリーダー 中澤裕子を筆頭に安倍なつみや矢口真里、後藤真希などスタープレイヤーがひしめくいわゆる“黄金期”。シングル「LOVEマシーン」と「恋のダンスサイト」で2作連続のミリオンヒットを達成した直後と聞けば、モー娘。の絶頂期と評する者も少なくない。時代はまだまだ封建的な社会が中心であり、モー娘。も例外ではなかった。

「たとえば先輩より前を歩いてはいけないとか、先輩と同じ髪形にしてはいけないとか……。体育会系みたいな感じで、上下関係は厳しかったですね。『LOVEマシーン』以降も、ヒットが続いていて、緊張感があってピリピリしているのを感じていました。先輩たちがイチから積み上げてきたものを“崩さないでね”という想い、私たちもそれに応えなきゃいけないんだ、とプレッシャーに感じていました」


黄金期に作り上げられたリーダーの“格”

「あと、当時はメンバーそれぞれが個性を発揮できるように、それぞれ役割が与えられていました。その役割の中で、ワンフレーズでも、ワンカットでも、たとえ一瞬でも、全力を尽くす。常に100%を、確実に満点を取る。それがグループの作品、ステージに繋がっていくんです。たとえば1曲の中での歌割りが「ヘイ!」の一言しかないこともある。もちろん“これしかないのか……”とへこむ気持ちはあるんですけど、それよりもその「ヘイ!」を如何に100%でやれるか。その気持ちは教えられましたし、徹底していましたね」

今や日本のみならずアジア諸国、そして世界中でファンを驚嘆させ、ユースケ・サンタマリアや松岡茉優、マツコ・デラックスなど有名人や著名人も絶賛の声を上げる現在のモーニング娘。のハイスキルなパフォーマンスの礎は、このころより受け継がれてきた精神性にあった。


「初代リーダーの中澤(裕子)姐さんが厳しくしてくれたからこそ、格のあるものになっていったんだと思います。加入したころは、縦社会で厳しいと感じていた私も、何年か経つと後輩が増えて、今度は引っ張っていく側になり、そのときに先輩たちが大切にしていたものを自分たちが受け継いで、後輩に伝えていく。メンバーが変わってもモーニング娘。というグループであることは変わらない。そうやって先輩が作り上げたモーニング娘。のブランド力が養われたんだなと。そうして、ずっと昔から応援してくれているファンの方もいれば、新しく盛り上げてくれるファンの方も出てきて、グループが20年も続けられているんだと思います」

20年間も続けることができた理由

移ろいの激しい芸能界で、なぜ20年も続けられてきたのか、𠮷澤は二つの 見解を語る。

「一つは『LOVEマシーン』の大ヒット。いまだにカラオケに行くとお客さんが歌っていますし、私自身に歌ってほしいと、リクエストしてもらう機会もあります。その曲を今の若いメンバーは、新しいアレンジで歌っています。これはすごいことだと思います。もう一つの理由としては、卒業と加入を繰り返してグループを存続していくこと。私が加入する前、テレビで客観的に見ていたころは、人が入れ替わるたび違うグループになっていくので、“次はどんな子が入るんだろう?”みたいな感覚で楽しんでいましたが、いざ自分がそのグループの中に入ってみると新しいメンバーが入ってくるときは緊張しますし、メンバーが卒業すればやっぱり悲しい気持ちになります。そうやって毎回心境は変わっていくし、立場も変わっていくので常に新しい自分たちを提供できたことなのかなと」

世代を超えて歌われ続けるヒット曲がいかに重要かは、他を例に出すまでもなく瞭然だ。しかし、時代に合わせて若返る新陳代謝の仕組みを導入し、進化し続ける女性アイドルグループといえば、彼女たちがパイオニアである。新メンバーが刺激を生み出すことで常に進化する。たしかにこの卒業加入システムこそ、モーニング娘。が長期にわたり活躍している最大の要因と言えるだろう。


2005年春、𠮷澤ひとみが20歳の誕生日を迎えた直後のことだ。就任直後だったリーダー 矢口真里の突然の脱退。世間を賑わせたスキャンダルに端を発した急転直下の脱退劇により、同じくサブリーダーに任命されたばかりの𠮷澤は、繰り上がる形で4代目のリーダーになった。

「もちろん大変なんですけど、“もうやらなきゃいけない”という状況でしたし、当時はハロー!プロジェクトのメンバーで結成していたフットサルチームでキャプテンを務めていたので、なんとなく自分の中でキャプテンやリーダーがどんなものか分かっていたところもあって、後輩との接し方はそれまでと全く変わらなかった。むしろワクワクしていましたね」

サプライズ人事で大役を仰せつかった彼女だが、すでに世間は黄金期の伝統だけでは通用しない時代でもあった。その波がモーニング娘。を呑み込もうとする中、𠮷澤ひとみはグループの改革に着手することになる。


吉澤ひとみ 改革から始まったプラチナ期へのバトン


封建的な組織からの脱却

2005年春、20歳の誕生日を迎えた直後、𠮷澤ひとみは、矢口真里の脱退により繰り上がる形でリーダーに就任した。そのころ世間では、小泉純一郎内閣総理大臣による郵政民営化法案、いわゆる「小泉劇場」が話題を呼んでいた。そして、「モー娘。」の新たなリーダーもまた、“改革”に着手し始めたのだった。

「部活などでもよくあるような、後輩を呼び出して“こういう方針でやっていくから”みたいな感じにはしたくない。みんなが伸び伸び活動できるようにしたかったんです。ただ、目的はひとつで、ゴールは決まっている。メンバー一丸でそこに向かうことさえ忘れなければ、―――もちろんルール違反はいけないですけど、“常識の範囲内であれば何してもいい”みたいな感じでしたね」

当時の𠮷澤の頭の中には、初代リーダー 中澤裕子の姿がある。


「中澤姐さんがリーダー時代は厳しいルールがあったからこそ、みんな緊張感をもって活動できていました。黎明期からグループを作り上げていく上では必要な要素ですし、モーニング娘。にそういう時代があったことは大切でした。だからこそ、姐さんが卒業したことでメンバーそれぞれに”しっかりやらなければ”という意識改革が起きて、1~3期までの先輩みなさん全員がサブリーダーみたいな感じで、リーダーのかおりん(飯田圭織)を支えているようでした。たとえば、私たち後輩もダンスならやぐっちゃん(矢口)に、歌ならかおりんや圭ちゃん(保田圭)に相談していて、役割分担されていました」

予測不能の起爆剤として活躍した「辻加護(辻希美、加護亜依)」が卒業し、石川梨華も続いた。4期でただひとり残った𠮷澤は、それまでやや封建的だった組織からの脱却―――各々の個性を伸ばし、自主性を重んじる集団性を求め始めた。

先輩の力だけで続いていると思われるのはイヤ

「中澤姐さんのやり方ではないし、2代目、3代目のリーダーのやり方でもない。自分なりのやり方で、グループを作っていくことにしました。『モーニング娘。』は学校ではないし、私たちは友達でもない。仕事なんです。だから年齢が近いからといって、仲良くなり過ぎるのは良くない。相談もしなかったですし、プライベートの話などもほとんどしなかった。後輩たちを変に固めるのではなく、個々に伸び伸び活動できるグループを目指しました」

その方向性は時代ともマッチしていた。しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、モーニング娘。の人気は徐々に陰りを見せていく。とりわけテレビを中心としたメディアでの存在感は減少していき、CDのセールスでは𠮷澤がリーダーに就任したころには、オリコン週間シングルランキングで1位を獲れなくなってしまった。


「いまだにカラオケへ行くと、『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション21』『ザ☆ピ~ス!』といった曲を歌ってくださる人がたくさんいらっしゃいますよね。それまでの各リーダーは、必ずオリコン1位という成績を残していたので、ずっと悔しい気持ちがあって。先輩の力だけで続いていると思われるのはイヤだ……っていう想いは、後の代の子たちも強く持っていたと思います」

彼女には黄金期の経験がある。世間の耳目を集め、お茶の間レベルにまで浸透していくことのすごさと難しさを知るからこそ、先輩たちやかつてのヒット曲の大きさは痛感していた。

「だから『歩いてる』でやっとオリコン1位を獲って、ピンク・レディーさんの記録も抜かせていただいた。あの時は大きな達成感がありましたね。自分がリーダーのうちに何かを残したいと思っていたのですごくうれしかったですし、つんく♂さんにも“オリコン1位、獲りました!”って報告したことを覚えています」

そしてプラチナ期へ “2人が手を取り合えば上手くやっていける”

2006年夏、5期 紺野あさ美と小川麻琴が卒業し、8人体制のモー娘。はシングル「歩いてる」で約3年半ぶりにオリコン週間ランキング1位を獲得。ピンク・レディーとタイ記録だった“女性グループによるオリコンの週間シングルランキングCD 1位の回数”を10に伸ばし、当時の歴代最多記録を更新した。しかし悲願は果たすも状況が好転したわけではなく、翌年2月のシングル「笑顔YESヌード」は週間4位。そして同年5月、7年と20日という長きにわたって在籍し、うち2年間リーダーの責務を全うしてきた𠮷澤ひとみは、そのバトンを後輩に託してグループを卒業する。

「高橋(愛)は一見リーダーというタイプではないというか、非常にマイペースだし、おっちょこちょいで天然な子だったから、ちょっと心配はしていましたね。ただ、サブリーダーにガキさん(新垣里沙)がいるから大丈夫だろうとも思っていました。ガキさんはしっかり者なんですよ。ライブでも収録でも『はい、何分前です。行きますよー!』って、引率の先生のようにグループをまとめることができる。後輩たちに厳しいことを言えるのはガキさんだったから、2人が手を取り合っていければ、上手くやっていけると思っていました」


インタビューの最後、𠮷澤が口にした言葉は、グループ、とりわけ同期メンバーの結束の強さを物語るものだった。

「あのときオーディションを受けた25,000人ぐらいの中で、もちろん『モーニング娘。』になれたこともすごいんですけど、そこに一緒に飛び込んでいく仲間がいたことがうれしかったし、そういう縁がなかったらあの3人と出会えていない。たぶん前世でつながりがあったぐらいの関係なんだと思います。だからメンバーのことはみんな好きですけど、同期のことがいちばん好きかもしれない。4期の20周年は4人で集まりたいです」

彼女の卒業をもって、モーニング娘。は4期までのメンバーが全員グループを去ったことになり、時代はいよいよプラチナ期へ。第3回からは、長く続いていく不遇と革新の時代をサブリーダーという形で支えた“ガキさん”こと新垣里沙にスポットを当てていく。


すでに過去となってしまった20周年

もうすぐ25周年。すでに5年近く前になってしまったけど。
4期の20周年は集まれましたか?

今、何を思っていますか?

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